私の祖父母である福田収蔵とミハが60の齢を迎えた1960年。不知火海と天草の島々を一望できる水俣市・湯の児地区の高台に「花が咲き、実が実り、地域の子どもたちやお年寄りがお弁当を持って遊びに来てくれるような場所を作りたい」と二人は夢を抱きました。手作業で17ヘクタールの丘陵を切り開き、みかん、甘夏などの果樹を植え、熊本県下初の観光農園を開園したのが福田農場のはじまりです。
その両親の夢と会社を引き継いだ私の父である先代の福田興次は、農業の特性を生かして地域を代表する特産品甘夏のジュース製造を手始めに、サングリア、地ビールの製造といった第2次産業に果敢に取り組んできました。また、新たな観光事業として、公害の原点ともいわれる水俣病により疲弊した「地域のイメージ」を変えていくことを目的とした「湯の児スペイン村」構想にも取り組み、結果、年間10万人を超えるお客様にご来場いただけるようになりました。そこには、自身がその水俣の出身として経験した差別や偏見を次の世代へ残したくないという強い想いもあったと思います。
そして現在、その先達たちの夢と想いを引き継ぎ、私たちの世代は、次の世代に何を残せるのか?変わらないために何を変えないといけないのか?
その答えの一つとして、2018年1月に社名を「福田農場ワイナリー」から「福田農場」へと改め、新しいビジョンを「九州・不知火(しらぬい)のうれしい食の風景をつくり続ける」と定めました。
これから私たち社員全員は同一のビジョンを持ち、水俣を抱く不知火海沿岸地域の食を通じて子どもたちの笑顔があふれる誰もがうれしくなる風景をひとつでも多く作り、地域の人が誇れる場所であり続けます。
そして、これまで培った九州中に広がる農商工のネットワークと農産品加工の経験を活かし、全国そして世界に商品を届け、地域の未来に貢献する企業を目指していきます。
今後の私たちのチャレンジにご期待ください。
株式会社 福田農場 代表取締役 福田 豊樹