学生アルバイト穴掘りの雄姿
開墾作業
みかん園を見下ろす
育成は上々 植え付け、昭和37年
公園の一部
「見晴らしのよいここに花を植えよう。子供達が遠足に来てミカン狩りも出来るようにしよう。花やミカンをみやげに持って帰れるように。」水俣病が喧伝されているころ、先代の母ミハの想いのもとに湯の児大地に広がる山林を切り開き、福田農場ははじまりました。
「見晴らしのよいここに花を植えよう。子供達が遠足に来てミカン狩りも出来るようにしよう。花やミカンをみやげに持って帰れるように。」水俣病が喧伝されているころ、先代の母ミハの想いのもとに湯の児大地に広がる山林を切り開き、福田農場ははじまりました。
観光農園としては軌道に乗っていたものの、台風などの被害もあり農業の不安定さを実感していた先代興次は加工業に目を向け、甘夏ジュース「甘夏ローヤル」を3年かけて開発しました。地元の鶴屋百貨店の宮嶋社長の「甘夏ベースのカクテルが美味しかったよ」という一言から、甘夏サングリアの開発にも着手。三楽(現メルシャン)長瀬熊本支社長のご協力もありフルーティーなワイン「甘夏サングリア」が完成しました。
観光農園としては軌道に乗っていたものの、台風などの被害もあり農業の不安定さを実感していた先代興次は加工業に目を向け、甘夏ジュース「甘夏ローヤル」を3年かけて開発しました。地元の鶴屋百貨店の宮嶋社長の「甘夏ベースのカクテルが美味しかったよ」という一言から、甘夏サングリアの開発にも着手。三楽(現メルシャン)長瀬熊本支社長のご協力もありフルーティーなワイン「甘夏サングリア」が完成しました。
スペイン館が建設されてから2年。先代興次は妻理恵子とともに再度スペインを訪れました。バレンシアは米、オレンジ、サフランの産地であり、パエリアの発祥の地。新婚旅行以来の海外旅行でバレンシアの建築と料理を学んだ二人は、帰国後にバレンシア館を建設し、本格的にスペインの食を提供するようになりました。
スペイン館が建設されてから2年。先代興次は妻理恵子とともに再度スペインを訪れました。バレンシアは米、オレンジ、サフランの産地であり、パエリアの発祥の地。新婚旅行以来の海外旅行でバレンシアの建築と料理を学んだ二人は、帰国後にバレンシア館を建設し、本格的にスペインの食を提供するようになりました。
地ビール製造の規制緩和が行われると、先代興次は農の延長としてビールの製造をはじめました。世界を巡りビールの勉強を一から始め、行政や地域のみなさんの協力もあり、水俣の地ビール「不知火海浪漫麦酒」が完成。3種類のフレイバーは今でも地元の皆様に愛されています。
地ビール製造の規制緩和が行われると、先代興次は農の延長としてビールの製造をはじめました。世界を巡りビールの勉強を一から始め、行政や地域のみなさんの協力もあり、水俣の地ビール「不知火海浪漫麦酒」が完成。3種類のフレイバーは今でも地元の皆様に愛されています。
創業60周年を見据え、過去にとらわれない新しい水俣・不知火ならではの価値を創り出していくために「LOCAL FOOD PARK」という新しいコンセプトを定めました。食を中心に地域の魅力を発信し、福田農場はうれしい食の風景を作り続けていきます。
創業60周年を見据え、過去にとらわれない新しい水俣・不知火ならではの価値を創り出していくために「LOCAL FOOD PARK」という新しいコンセプトを定めました。食を中心に地域の魅力を発信し、福田農場はうれしい食の風景を作り続けていきます。